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岡大短歌会

Author:岡大短歌会
2012年に発足した岡山大学公認サークルです。活動予定などのお問い合わせはTwitter(@okatan2012)まで。


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平素よりお世話になっております。

このたび岡山大学大学短歌会の歌会に参加できるのは「岡大もしくは近隣の学生、メンバーの知り合い、もしくは特別に紹介があった方」のみと決定させていただきましたことをお知らせいたします。

当会では設立以来、多くの方にゲストとして歌会に参加していただきました。
しかし、現状会員の安全確保が難しい状況があり、大変申し訳ないのですが冒頭の条件に当てはまらない方の参加はお断りいたします。

何卒、ご理解のほどよろしくお願いいたします。

(村上)
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【川上まなみ・加瀬はる対談Ⅲ】おかたんいたん、かもしれなくてふあん


※前回対談【Ⅱ】の続きになります。
(この対談は2月におこないました。)





ま・分かる。私は京大の濱田くんとか、彼の歌って無記名でもわかるんだよね。主体のキャラが独特で分かるというか。
だからこそ、「あ、このテンションはきっと濱田くんの歌だ、また面白いことをやっているなー」って思う。



は・濱田さんて「ポンデリング」の歌ですよね。「ドーナツを愛する母の年金がみんなポン・デ・リングならね……」



ま・そうそう。あと「風呂は風呂でも無意識とかの研究を進めた風呂ってなあに? って何?」とかね。そういうのとかは「はまだくんの歌だ、おもしろい」ってなる。歌と一緒に作者もパワー持ってるのかな。作者というより、その作者が作り上げる作中主体像が、パワー持っているのかも。
東北の工藤玲音さん、彼女とかはTwitterやってるから、歌の主体とTwitterの中がかぶってしまって、あー工藤さんぽいなって思うね。主体と作者が一緒のキャラクターというか、私工藤さんとめちゃめちゃ仲いいというわけではない(もちろんおしゃべりしたりご挨拶したりするけど、住む場所が遠いからお会いする機会もないし)ので、本人というよりTwitterの「工藤玲音」像に近いけど。



は・分かります。思います。でも彼女は、歌のつくりはおかたんに近いんじゃないかなとはかんじてます。でも、主体と作者像が一致してるというのは、筆者と短歌の関係があって、筆者が短歌に還元されて、短歌が作者に立ち返って来るような関係を見せているのは、私たちが「おかたん的ではない」と思った歌・歌人と共通してるのかなぁ。



ま・で、ここまで話してきたけど、おかたんは今の学生短歌会や歌壇のブームというか、今面白い短歌からは外れている、そうじゃないから不安に思う、と。



は・私たちそうなりたいですか?



ま・うーん…。その歌たちが良くないってわけじゃないけど、なりたいかって言われると…おかたんは歌会文化だし、歌の傾向が違うからちょっと異端感はある。



は・おかたんいたん



ま・…かもしれなくてふあん。笑



は・へへへ。笑
名前(これまでの既発表の短歌イメージ)と歌がつながるとおもしろい一首って、名前が知られるまではどうなんですかね。
わたしがさっき(【Ⅱ】参照)話した、作者発表後にはじめておもしろく読める歌とか、その一首と出会うとき、作者っていう、背景の連続性に興味と知識を興味をもたない読み手が排除されることもあるんやろうなぁ…と思うんですよね。たぶん短歌を普段読まない層とライトに一首ずつたのしんでる層に合致するかも。

あ、関係するかわかんないですけど、大学短歌会員なのだから上昇せねばならない、という雰囲気、ありませんか。
「大学短歌会に属している以上は質の高いものを書かないとだめでしょ」と言われたことがあるんです。わたし自身は、質の高いものは作りたいと思うんですよ。自分がどうおもったかを整頓して、よりよく伝わるかたちにする、自分としては満足度が高い形にしたいってことなんですけど、おかたんて全員が全員必ずしもそうではないのかなと。
歌会で入ってくる人が多いというのもありますけど、やっぱりみんな短歌のやり方の選択肢がなくておかたんにきてるんですよ。そこでうまくなりたい人しかはいっちゃだめーってなるのは、短歌をライトに楽しむ人は岡山だとどこにいくんだーって。
おかたんって社会人とかも来てくださるじゃないですか。山口、四国とかからも、交通費何万円もかけて歌会の場を求めて来てくださる。そういう、場の役割みたいなのを感じてて、大学短歌会だから上を…ってわけではなくて、岡山という地方にある場だからというのは大切にしたいなーというのがあります。



ま・わたしは短歌ガチ勢でやりたいって入ってきたけど、それを全員にもとめるのは違うかなと後輩入ってきておもった。歌会を楽しみに入ってきましたーって子がおおいし、兼部でやってる人もおおい。おかたんはいろんなひと受け入れているしね。
いろんな人来てほしいしね。



は・やりたい人がいるなら一緒にやりたいなぁって思う。岡山どころか中四国範囲で歌会がないのは実感としてありますもんね。錬成の場より短歌の入口としての機能がわたしたちの代は大きかったかもしれません。
がんばりたいって人はうおお一緒に学ぼうー総合誌貸すよーて思うし、楽しみたい人にはいっしょに楽しもうー好きそうな歌集貸すよーって思う。だから、岡山大学短歌会は場でしかないのかな。機能・組織というより。



ま・個人的には、外の歌会があることを忘れんでほしい。おかたんしか場がないって思うのはおかしいし、歌会主義が一番って思うのは危険。外の世界もちゃんと見つつ、やっていくのが大事かなと。
でも大学短歌会ってまとめられると、どの短歌会もこまると思う。記名で立つ歌がいいって短歌会も、無記名で連作で主体が立つ歌がいいって短歌会も、無記名で立つ一首が評価される歌会もいいって思うし…
おかたんは、歌会主義をつづけながら、場として機能したいだけなんだけども。



は・だけなんだけども、外部の人に「大学でやってんだからプロを目指そう」っていわれるときがあるんですよね。ちょっとした生きづらさはある。



ま・そういう意味で、おかたんは悩んでますよーって。短歌がサロン的な文学になってしまうのを懸念する批判もあるしね。



は・私はまずファーストコンタクトでつまんねって思ったから、サロン的なものへの批判には共感する部分があるんかなぁ。初見でわからないものには抵抗があります。
やっぱ一首でばばーんとわかるのが好みだな、って。一首を愛唱することへの熱が高い。そっか、愛唱です。愛唱したいから一首が好き。一首でRTされるような。



ま・私はうまくなっていきたいけど、でも全く短歌知らん子が歌会にきてくれるのはめっちゃ嬉しい。友達とか誘っても、あ、意外とはまってくれるんやなって。おかたんは短歌を広める役割も担ってほしい。というかになってたこの1年は。特に今の4回生(ura)のメンバーは、私以外4回生になってから短歌やりたいって入ってきてくれたし。



は・そうですね。まなみさんの代はそういうの多かったですね。



ま・好きだからね、私、人集めるの。へへへ。



は・私はそういうの下手かもなぁ…。気づいた人がきてくれたらいいな。気づかせるための努力はしますけど。



ま・これからも(自分たちの安全は守りつつ)受け入れないって選択肢はなく、でも大学短歌会の中では異端かもしれないって立場。



は・大学短歌会の「今すごいぞ」って人達から見ると異端ですね。不真面目かもしれない。



ま・そうね。でも、この場をまもっていきたい。短歌バトルもありますから、お互いの歌、立場を尊重しながら戦いたいね。そして、今回はおかたんを応援してくれる人がちょっとでもいると嬉しいなー。どうぞ、よろしくお願いします。笑







【川上まなみ・加瀬はる対談】は以上にて終了です。ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
特に、今回お名前や作品を引かせていただいた方々には厚く御礼を申し上げます。

こうしてまとめて見返してみると、自身の発言ながら反論したくなる点や書き直したくなってしまうような箇所もたくさんあり、今後自分たちがより考えを深めてゆくための材料にもなりそうです。生で進行するトークで、「感想」や「印象」に根拠を引き、誠実に議論を深めてゆくむずかしさに気づきました。
拙い対談文でなかなか読みづらい箇所や不備もあったかもしれませんが、「いま、学生短歌会/地方都市岡山でこんなことを考えている人がいる」というひとつの記録になればと思います。今回の対談について、忌憚ないご意見をお聞かせくだされば、とても嬉しいです。
そして、よかったらお近くの方は歌会にあそびにきてください。会員は大学生だけに限定していますが、歌会参加は年齢も経験も問いません。 

五月には代替わりがあります。今年はもう三人も新入会員が入ってくれました。
学生短歌会には代謝があって、人が入れ替わってゆきます。今回は、いまのおかたんのこと、いまおかたんから見えたこと、いまおかたんが志向することを話しましたが、いちばんは、現役の人達がやりたいようにやっていってほしいと思っています。
どんどん変わってゆくおかたんを、引き続きよろしくお願いたします。

岡山大学短歌会
加瀬はる









【川上まなみ・加瀬はる対談Ⅱ】おかたんいたん、かもしれなくてふあん



前回の記事【川上まなみ・加瀬はる対談Ⅰ】の続きになります。
(この対談は2月に行いました)







は・うーん、私の出自の話になるんですけど、まずいろんな読みができる歌、一つの読みができる歌あって。おかたんは、読みが一つの歌を知らんまに至上としてきて歌会してるけど、わたしがおかたんの歌会にいってがっちりハマったってのは、中高生の頃の短歌の授業が「わからんつまらん」と思ってたからなんですよね。
最初、一首の解釈について、国語の先生は意見を募るんですよ。で、いろんな意見言わせるんですけど、最後の最後に資料集とか使って「でもこの歌をつくった人はね…」って語り出すんですよね。だから、テストで正解を書かないかん生徒の立場からしたら、「なんや、背景しらな読めんのかい」って気持ちになったんですよ。背景知ってひとつの読みにたどりつかなあかんもんに良い悪いないやろって不信感だったんですよね。文学とかもそんな深く興味ないから、評論とかも読まないし、先生の言うことが「文学」の正統だと思ってたし。



ま・なるほど。



は・ほんとに不信感で、いやだったんですよ、短歌とか俳句とか詩とか。たとえば作者がこの時精神を病んでいて…だからこの小説は…ってつながるの「えーっ」ってなってた。作者の歴史が分からないと、たのしむことはできても、正しい読み方をすることはできませんっていわれてるみたいでいやだった。
でも、なんのはずみか和歌だけは好きだったんですよ。だから、そのはずみで新歓にきて、歌会に出たときに、無記名やしその人の背景関係なく、これはこうじゃないこんな読みだと思うって勝手に言って良かったし、作者の真意からはずれても、読み手の受け取り方がそれが正解になるし、(授業に)不信感があったからこそ、これは信用できるってなったんですよね。読み手の優位が確立されてるっていうか。
あるもの(テキスト)だけを信じていいという、その快楽で短歌をはじめたので、私は一首で読めるほうがすきなんですよね。
さっき言った歌壇1月号で、引用されてた井上法子さんの歌みたいな、そういう歌を読むの自体はすごい好きやしファンなんですけど…。



ま・そうね、歌会に出されると、私たちは困る。何て言ったらいいのか分からんって。
これは私の話だけど、私は学校の先生になりたいと思ってて、実習でも短歌の授業をやってるから…、多分はるちゃんの先生は、生徒からいろんな解釈を出しておいて、でも実は作者はこういう歴史をもってて、だからこの歌はこの豆知識をいれると、もっと読みが深まるんだよって授業をしたかったと思うんだよね。でもそれが失敗すると、結局先生が答え合わせをするかたちになってしまう。私の教育実習での授業の反省点もありつつ…。
例えば「君かへす朝の敷石さくさくと雪よ林檎の香のごとく降れ」は生徒に「どんな雪が降るとおもう?想像してごらん」って解釈させれるし、先生からも「実はねこの歌は朝帰りの歌でね、あなたを帰すときの寂しさが…」って、もっと深まる景を作者の歴史によって提示できるんだよ。まぁ、朝帰りの歌は授業では扱わないだろうけど笑



は・あーそういうことだったんですね。先生は豆知識として言ってくれていたのに、テストの解答を追求しようとする私が早合点して「なんやそれがほんまかい」ってなってた可能性もあるんですね。



ま・そうねー。先生の言い方次第だけど。でもどこまで生徒に解釈をさせるか難しくって。
私も模擬授業で俵万智の「思い出の一つのようでそのままにしておく麦わら帽子のへこみ」の歌をやったの。
あれのへこみの部分て、ドーム型になっているところ上からまっすぐにへこむって思うじゃん。てか私は大体そうだよなって思ってたの。それで分かりやすく黒板に絵を描いたらね、大学の教授(実習後に模擬授業を大学でやって)に「いや、分かんないじゃんって。もしかしたらつばの部分のへこみかもしれないし、横がへこんでいるのかもしれない。読みを限定させるのはよくない」って言われて。でも私は、どんな「思い出」が読み取れるかを授業でやりたかったわけなんよ。でもへこみの部分から解釈させてたら、1時間で一首できないじゃんーって。しかも、その単元は一首を鑑賞するってよりも、馬場あき子さんの批評文を読んで、短歌を理解しようって教材だったから、批評文読まなきゃいけないのに、俵さんの歌を全部自由に解釈してみようって時間なんかないわけなんだよね。
だから大変だったよなーって。



は・あーまなみさんもまさに短歌の授業をされたんでしたね!…先生に苦労をかけた生徒でしたね私。



ま・先生の授業のやり方とかよくなかったんかもしれんけどな。でもはるちゃんがおかたんに入ってきてくれたから、それでいいんだけどね笑

話は戻るけど、おかたんはやっぱり一首で読める歌がいいって人多いんだよね。だけど、やっぱ、一首では景が確定しないけどいい歌もある。
枡野さんの久木田真紀についてのブログ記事読んでみて思ったけど、枡野さんの言うように作者と一緒に鑑賞される歌もあったりするよね。
逆に作者の名前はないけど、連作の主体を通して、例えば武田穂佳さんの第59回短歌研究新人賞受賞作「いつも明るい」は、主体が女の子、高校生としてはっきり描かれているから、主体のキャラクターを通して読む、そういう歌もある気がする。
今大学短歌会の文化としてあるのはおかたんのような歌会文化(一首が独立して景が確定する、作者の名前のない無記名の歌が好まれる)ではなく、名前がついた歌、作者が分かって面白いってのが一般的になってる?



は・たとえば…京大短歌会卒業の阿波野拓也さんとか、北海道短歌会の初谷むいさんとか…連作内の響き合いだけでなく、作者?ではないな?作者が今まで作ってきた歌、と結びつくことで面白みが増す歌なんかなぁと思ってますね…。
昔、よその大学短歌会の人と歌会したとき、終わってからいろいろ話してたら「作者が○○さんだとわかったらすごくいい歌だと思えてきました。」「作者が□□だとわかったら読みが変わった。」って言ってるのを何回かきいたことがあってですね。これおかたんだとありえない発言だと思ったので衝撃でした。そのときは「テキストに向き合ってないのでは?!」と軽い憤りすら…。
でもこれってそれこそ枡野さんのブログの「短歌は一首では評価されないものである」というの地をいってると思うし、さっき引用した歌壇一月号の、作者が塚本邦雄か大松達知かで歌の読みが変わるっていう現象なんですよね…。※
いろいろ考えてるうちに、おかたんみたいな読み方してるのが少数派なのでは?となったし、やっぱり阿波野さんむいさんおもしろいしで、ぜんぜん私の中で、まとまってないけど、あ、短歌はどうやら一首のテキストだけちゃうぞ…となっております。

※どこまでも坊やのさきへさきへ翔ぶ斑猫と慈善音楽會へ/塚本邦雄『水葬物語』





【川上まなみ・加瀬はる対談Ⅲ】へ続く


《追記》最後の加瀬の台詞内で、阿波野巧也さんと塚本邦雄さんのお名前に誤字があったので訂正させていただきました。大変失礼いたしました。

《6.22追記》川上の発言内に馬場あき子さんのお名前に誤字があったので訂正させていただきました。大変失礼いたしました。


【川上まなみ・加瀬はる対談Ⅰ】おかたんいたん、かもしれなくてふあん

はじめに、の文章はこちらからお読みください↓
【川上まなみ・加瀬はる対談 はじめに】

(※この対談は、2018年2月に行いました)


✳✳✳✳✳


ま・短歌バトルが近づいてきましたが、今年はどんな感じですか部長?



は・去年の優勝があるからどちゃくちゃプレッシャーです(笑)



ま・いやいや、きっと大丈夫。去年は、なんなんだろう、なんか終わったあとすごく違和感あった。だから今回のブログではバトルの違和感のことから話を進めていきたいなーと思ってます。去年はね、本当に優勝が決まって違和感しかなかった。ダークホース感といいますか…あんまり応援されていなかったおかたん。コメント欄でも応援されておらず、勝ち上がったものの歌も面白くなかったといわれるみたいな…。



は・「ルは中空で沐浴をせよ」という全試合を全評してくださってたブログ去年読んだんですけど、ことごとく、おかたんの歌じゃないほうの歌を褒めてるんですよね。おかたんが勝った試合でも。
(2人でブログを検索して見る)ここに書いてあるのって「勝ったおかたんよりこっちのほうが面白い」なんですよね。



ま・第一戦はバトルっぽかったっていう評が多かったんだけどね。



は・見てください、この最後の悲しさ。「ちなみに勝者は岡山大学のほう」って。



ま・勝ったのはこっちなんだけどなー。見てこれ、やっぱり、相手チームの歌のほうを評していて、最後に「勝者は岡大」って合言葉みたいになってしまってる。
うーん。やっぱりおかたんは大学短歌会の中でも詠んでる歌の雰囲気が違うというか、そういうのがぽっと出で出てきた印象があるのかなー。大学短歌会の中でも流行の歌があるとしたらそれからはずれた歌なのかなーと。それが面白くないと言われる原因というか。



は・流行がなにかっていうと言語化しにくいし、あるもんかどうかもわからんけどなぁ~。
あーそういえば『心の花』で歌壇の若者たちというテーマで大野道夫さんが書いてた文。最近わたしたちの短歌バトル2017の歌を引用したときにコピーを送ってくれてたんですよ。大学短歌会界隈、ってなかでおかたんを相対化して特徴づけたらこういう印象なんかなぁ…って読みながら思って。たぶん画像保存してますね…。(スマホの画像フォルダを探る)

「私は短歌バトルを観戦したが、他の大学は内容を詰めすぎたり、観念的であったりする印象を受けた。岡山大学のような傷のない、オーソドッグスな歌がどの程度広がっていくかは定かではないが、ひとつの傾向として着目していきたい」(大野道夫「■新春評論■歌壇の若者たち 若者はすんと佇んで」『心の花』1月号、2018年)

大野さんは短歌バトルにおいて、観念的な歌に批判的な目を向けたわけで、大野さんの言う観念化とわたしの受け取った観念化、が一緒かはわからんですけど、たくさん解釈がでてくる歌が良しとされる風潮はいわれてますよね。おおざっぱなんですけど、具体がなくなったり詩化したりすることで観念化はまぁすすむかと思うのですが、新年の『歌壇』の対談で井上法子さんについての話が、すごく忘れらんないですね。(高野公彦、吉川宏志、渡英子による「鼎談 短歌の読みをめぐって」⦅『歌壇』2018年1月号⦆)
まなこにはまなこを どんなこころよりまっすぐ落ちて来る花と水
/井上法子『永遠ではないほうの火』
 こういう、解釈が多様で、なかば読み手にゆだねられている歌を例に引いて、そこには読み手にじぶんだけの解釈のよろこびがあるんじゃないか、というふうに言ってるんですよね。観念、だからこそ歌が広いのかなぁ。そういうなかで、おかたんは、オーソドッグ、しかも消えゆくかもしれない存在として感じられている…おお……。



ま・たしかに。今、さまざまな解釈が求められる歌が多いよね。解釈が様々出てくる面白さがあるというか、言葉の力強さが出てくるというか、そういう歌が好まれている傾向はあるね。今回(2018年角川短歌バトル)の予選の歌でもおかたんは「力強さにかける」と言われていてなるほど確かに、おかたんの歌はパワーが無いなと。逆に立命は一首一首が「力強さがあってよかった」と言われていて。
この差はなんでなんかなと考えると、おかたんは基本歌会を通して、歌を学んでいるから?歌会文化があるから?と思うんよね。



は・おかたんって歌会のとき、景を確定すること、一首として完結して面白いかに注目して、歌を評価してる気がします。



ま・連作を作るときも一首一首が大事って話になるよね。一首で完結、傷の無い歌を並べましょうと。



は・歌会至上主義じゃないですけど、連作でも一首尊重しすぎるきらいがあるのって、メンバーが歌会をきっかけにして入ってくることに関係あるんですかね



ま・あるかもしれない。ほかの大学は分からんけど、おかたんは基本歌会が活動の中心で、短歌は初めだけど、歌会が面白いから入ったって人がほとんど。歌会がたのしい、歌を出すのが楽しいとか、そういうハマり方をして入って来る。他の大学はどうやろな。



は・個人で歌集をよんで興味を持って?とかなんですかね?



ま・歌に興味があって、入るみたいな感じかな。私たちは歌会に、短歌について知らない人が来て、歌会たのしいって入って来る。



は・その後に自分で学習し始めるわけですけど、まずきっかけはそこですね。



ま・歌会入り口か。そうして短歌を知るわけなんだけど、岡山には、結社の歌会開催がほとんどなくて、行く歌会すら選べないくらいなんだよね。自由になっている歌会も少ないから、大学に入って短歌楽しい!やろう!と思ったら、ひとまず岡大短歌の歌会しかない。



は・もし、大学短歌会に参加して、短歌って面白いな~っておもったら、大阪とか東京の地域だったら短歌のイベントに行く、個人主催の歌会に行くって出かけていくんですけど、岡山だったら岡大短歌しか場がないですよね。



ま・そうね、歌集批評会とかも無いね。
批評会、イベント、座談会、講演会、歌会…とか全然だね岡山。
別のところで刺激されておかたんに入ってくるのではなくて、おかたんがあり、おかたんで短歌にふれた人が短歌を始める、と。



は・でもそうなるとやっぱり私たちが上から引き継いでいる作風とかやり方とか色濃くうつりますよね。私たち自身も大半がそうやっておかたんに属したわけだし、その人たちが生まれたてのひよこを教育するんですから。



ま・先輩とかに影響されてしまうよね。
例えば、私(4回生)の良いって言った歌が良い歌になるし。私が好きな歌や歌集を、みんなに紹介するからそれを読むことになるし。
しかもおかたんは上が下を育てる、みたいなやり方だから余計。機関誌の連作を作るときとかは、連作作り方講座を先輩がやってくれて、そのあと5か月かけて連作をみんなで添削する歌会が開かれるからね。



は・考え方まで、縦に継承されてしまうんですよね。
そしてぴよぴよ(新人)が教育されていく。それが若鳥(上回生)になり、またぴよぴよを教育する。まぁいうて若鳥なんですけどね。そんでもってしかも、若鳥の数が少ない。つまり、親鳥(指導者、歌人)が複数羽いない環境で短歌をして、教育されていく環境にあると。
学びが歌会に限定されているから、無記名一首で面白くよめる歌が至上やと感じてしまって、ここまで来てしまっているんですね。

普段読んでいる…私は普段ほかの大学の歌を読むと、読みの幅が広いな、と思うんです。一首が。



ま・私も一回生の時に京大短歌に行って、読めない、どう読んだらいいか評したらいいかわかんない歌が多くて衝撃を受けたことがあって。分からないじゃなくて、その歌をどう読んでいくのがいいかを楽しむことが歌会の場って感じがしたな。
おかたんは読みよりも、一首をどう完成させるかに重心をおいた評が多いけど、他はどうよめるか、読むかに評の楽しさがある気がする。


✳✳✳✳

【川上まなみ・加瀬はる対談Ⅱ】に続く。

こんばんは🌃
今日はおかたんブログにほとんど登場しない加瀬はるが書いてます。


今日は4月とは思えない暑さでしたね…。就活スーツの下にうっすら汗もかきました。そしてパンプスの足がなんか汗臭い。実家の猫に嗅がれました🐱


さて、今日は多分おかたん初?(ちゃんと調べてません)の対談企画をアップします。


きっかけは今年2月、3月3日短歌バトルに向けて、去年の短歌バトルについて、私と川上まなみさんとでつらつらとラインをしていたときでした。去年の短歌バトルでふんわり感じた違和感から浮かんでいた不安、


"おかたんが良しとしてきた短歌って、もしかしてあんまり「面白く」ないの??"という話から始まりました。

話を深めるうちに、



"「大学短歌界隈」のなかに位置付けたとき、おかたんの特徴ってなんだろう?"

"おかたんは、いまどういうことをしていてこれからなにをしたいのかな?"



と、いう話にまで発展し、いちどふたりでまとめてみて考えてみることに決めました。
論じる、とまではいえませんが、今回はそれを【対談】というかたちでブログで公開することにしました。

よって、今回の記録は、2月に、加瀬はると引退前の川上まなみとでお話しした内容になります。(加瀬が対談を文字にまとめるのに慣れてなくて、アップできるのがとんでもなく遅くなりました……………。まとめる過程でおかしくなって違和感のある部分もあるかもしれません。読みにくかったら申し訳ありません。)


2018年2月時点の川上まなみと加瀬はるの、率直なトークになります。
率直な意見だからこそ公開するのは正直すごくどきどきしているし、
意見を人の見えるところで公開する責任の重さ、というか、じぶんのことばに責任をとらなくてはならない重み、そういうものをひしひし感じています。



短歌をはじめたきっかけも短歌歴も、目指すところもちがう二人ですが、おかたんに属し岡山という土地で短歌を続けてきました。

私達の対談が、読んでくださった方にとって、地方の学生短歌会について考えるひとつの材料になれれば幸いです。

【対談Ⅰ】へどうぞ。


岡山大学短歌会
加瀬はる

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